2Feb
昭和40年(1965年)3月14日に発生した札内川十の沢雪崩事故で亡くなられた北大山岳部沢田義一リーダーが、5万分の1地形図2枚の裏に書き残した手記(遺書)の全文です。
(この遭難事故について詳しくは「札内川十の沢大雪崩事故」を読んでみて下さい。)
沢田リーダー手記(全文)
3月14日(日?)の深夜2時頃、(後で時計を見て逆算した) 突然ナダレが雪洞をおそい皆寝ているままにして埋めてしまった。
最初雪洞の斜面がなだれたのかと思ったが、 後ですき間を少しずつ広げてみた結果、入口よりデブリがなだれこんできたものだった。
皆は最初の一しゅんで死んだようだったが、私は幸いにして口のまわりに間隔があったのを次第次第に広げて、ついにナタで横穴を2m近く掘って脱出しようとしたが、 外はデブリで埋まっているためか、一向に明るくならずついに死を覚悟する。 只今14日13時10分。
しかし何とか外に出たいものだが、根気負けしてしまった。 一休みしてから考えよう。
お母さん、お父さんごめんなさい。一足先に行かして貰うだけです。きっと、何かに生まれ変ってくるはずです。その時お母さんお父さんを見守っているはずです。
土田のおばさんすいません。心配が本当になってしまいました。でもゆるしてくださいね。田中さん、坂井君、松井君、中川君、橋本君ごめんなさい。とりかえしのつかぬ失敗をしてしまって。
皆さんのお母さんごめんなさい。ついにやってきたのです。きっと天から皆さんを見守っているつもりです。せめてできることはその位です。早く安らかに眠りたいものです。 どうせ死ぬなら僕ひとりだけです。14日13時20分
内藤さんアマゾンはどうでした。尾崎さん別にいいんです。
佐藤君、牧野内君、友達として心のふれあう君達だった。 佐藤君には5000円借金しています。
海内さんだって、波多江さんだって、小泉君だって死んでいるじゃないか。 ちっともさみしくないはずだ。
杉山さん御指導ありがとうございました。
ルームの皆さんさようなら。松田君、庵谷君すいませんが後始末をお願いします。
広瀬先生すいません。上山さんお先に行きます。 鈴木、清水、裏、山下、田中、井上、林頑張れ。
何がなくなっても命だけあれば沢山だ。死を目の前にしてそう感ずる。 親より早く死ぬのは最大の情けない気持ちだ。
松井君は一人子、橋本君は男一人、僕も男一人で、 親のなげき悲しむ様子が手にとるようにわかる。
3月14・15・16・17日と寝たり掘ったりする。 日付は時計の針でのみ計算する。
ナタが手に入った。懐中電灯が2ヶ、スペアの電池が1ヶ、非常食が2人分。 掘っても掘っても明るさがでてこないのでがっくりしている。
生は10%ぐらいだろう。17日朝8時。
お母さん本当にごめんなさい。今まで育ててくれたつぐないをなさずに、 先に行ってしまうなんて。
今は比較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。
後1週間くらいならこのまま寝て待っていられるのだが、 25日ごろ騒ぎだして、捜索隊がここにつくのは早くて29日。
そしてここが見つかるかどうかもぎもんだ。 13日にここであった山スキー部のパーティが、 一緒に来てくれれば分かり易いのだが、 あの時あいさつしておけば良かった。 向こうのパーティも知らん振りしていってしまった。
佳江、珠代へ。先に死んでしまってごめんよ。 お母さん、お父さんはこれからお年寄りになっていくんだから 二人仲良くして、お兄ちゃんの分も良く面倒みてあげて下さい。
昌子姉へ、お母さんお父さんの事よろしく。
お母さん今死んでしまうなんて残念だ。切角背広も作ったのにもうだめだ。
出典:日高山脈山岳センター展示室、手記の複写
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