7Jan

積丹岳スノーボーダー遭難事故
~山岳警備隊は本当にミスをしたのか?~
先日、この遭難事故を巡る民事訴訟において、最高裁は遭難者の死亡原因について、山岳警備隊の救助のミスを一部認め(救助のミス3割、遭難者の自己過失7割)、この件は決着したようです。
この事故に関しては、新聞報道やネットなどを見る限り詳細な情報が少なく、冬山愛好家にとっては事故原因について不可解に思う点がいくつかあります。
警察が悪い、いや遭難者の自己責任だ、など様々な反応があるようですが、判決の結果や責任論はさておき、このような判決が出た場合、警察などの救助機関は再発防止のために対策を講じることになりますが、必ずしも実効性のある対策がとられるとは限りません。
私は救助機関で働いていた経験から人命救助の実態をある程度知っています。
残念なことですが、このような報道があった場合、救助機関の上層部は、再発防止と称して中身のないマニュアルや訓練を現場に押しつけることがよくあります。
中身のない訓練は、現場の隊員を圧迫し、訓練の質も練度もモチベーションも低下してしまうということが実際にあります。
そして、同じような遭難事故の通報を受けた場合、現場の隊員がぎりぎり救助可能と判断しても、上層部が悪天候を理由に出動させなかったり、出動の命令を受けても現場の指揮官が救助をためらったりなどという消極姿勢に移行することがあります。
我々登山者から見ると、税金を投入して作った部隊なのですから、出動に消極的になるよりも、多少失敗してもその能力を最大限に発揮してもらいたいと思うはずですが・・。
事故の概要
新聞報道などによる事故概要は以下のとおりです。
遭難者(30代男性)は平成21年1月31日午前8時ころ 友人らと共にともにスノーボードなどを目的として北海道積丹半島にある積丹岳(1255m)に入山した。
入山時の天候は比較的良く、視界も良好だった。
遭難者は先行して行き、友人とはぐれた。
友人は引き返し、遭難者の下山を待つことにした。
午後3時ころ遭難者は友人に対し無線で視界不良のためビバークする旨を連絡し、次いで、午後3時30分ころ、雪洞を掘り、ツエルトに入った、警察に救助要請を頼む旨を無線で友人に伝えた。
通報を受けた道警はヘリを出動させたが、天候が悪く、ヘリでの捜索はできなかった。
翌2月1日早朝、道警山岳警備隊5名は雪上車を待機させ徒歩で捜索を開始。
午前7時30分ころ、遭難者は山頂付近にいることを無線で知らせた。(時刻不詳だが、遭難者は装備していたGPSで現在地の緯度経度を通報している)
道警は通報位置の測地系の変換を間違えたため、正確な遭難位置を把握できなかった。(通報位置が約400mずれていた)
午後0時ころ、隊員は山頂の東側付近で遭難者を発見した。
遭難者は低体温症の症状を呈していたため、2名の隊員が遭難者を脇にかかえながら下山を開始。
現場の天候は北寄りの風雪が20m以上で、視界は5mであった。
隊員は、登って来たルートではなく、雪上車までの最短ルートである尾根道を通って下山することにした。
下山開始して間もなく隊員らは雪庇を踏み抜き、隊員3名と遭難者が約200m滑落した。
隊員らは遭難者をそりに固定し、ロープで引き上げようと試みたが、悪天候と約40度の急斜面で1時間に約50mしか登れなかった。
隊員らは消耗し、作業を交代するため、そりのロープをはい松の枝に縛った。
隊員3名がその場を一時離れた時、そりのロープが解け、遭難者はそりごと滑落して行き行方不明となった。
悪天候や滑落時の隊員の負傷などのため、捜索は危険と判断し救助作業を一時中断した。
翌日、遭難者は滑落現場から約600m下で発見され、凍死による死亡が確認された。
以上が事故概要です。
現場付近の地形図を見る
山頂から東に向かって痩せ尾根が数百m続いていることがわかります。
尾根の南側は等高線がずいぶんと混んでいます。かなりの急斜面です。
登山者なら、この南側斜面を登ることがどんなに困難なのかが一目でわかります。
冬場は北西の風が常時吹くので「雪庇」は稜線の南側に発達するのが冬山では常識ですから、山頂から東に向かって尾根づたいに下山する場合、雪庇を踏み抜かないよう絶対に右にそれないように歩くのが鉄則です。
雪庇のことがよくわからない方は「冬山入門」の「雪庇ができる場所」に絵入りで簡単に説明があるので見てみて下さい。
GPSの変換違い?について
考えられる間違いはたぶんこういうことです。
遭難者がどんな機種で自分の位置をGPSの緯度経度で知らせたのかは不明ですが、仮に持っていたハンディGPSが世界測地系に設定してあり、その緯度経度を知らせたとして、警察が日本測地系の地形図にその緯度経度を記入すれば、実際の位置より北西に約400mずれた位置を捜索してしまいます。
この時代、地形図や海図が日本測地系から世界測地系に変わってまだ10年も経っていなかったので、使用する地形図も日本測地と世界測地の両方がまだ混在していました。
土木や海のプロじゃない限り、通報者が測地系まで警察に伝えないと思います。
なので通報を受けた警察は測地系がわからない限り、日本測地と世界測地の2つのポジションを捜索するはずです。
何かの連絡ミスか、測地系を理解していない職員が遭難位置を計測したのではないでしょうか。
警察が日本測地系の地形図しか持っていない場合で、通報位置が世界測地系だった場合でも、緯度経度を日本測地系に変換すれば正しいポジションを把握できます。
測地系の変換作業はこの時代でもネットなどを利用すれば容易にできました。
※ハンディGPSをお持ちの方は一度、設定を確認して見ましょう。
日本測地系なら「TOKYO」、世界測地系なら「WGS84」と表示が出るはずです。
通報時に測地系を伝えないと捜索が遅れる可能性がありますので把握しておきましょう。
事故当日の気象
遭難者が入山した1月31日午前9時の天気図を見てみましょう。
発達した低気圧が間もなく北上してくるのが一目でわかります。
この天気図を見たら多くの登山者は、山には行きたくないと思うのではないでしょうか。
入山したとしても、天候をよく見極め、悪くなってきたら直ちに下山できる位置にいなければなりません。
天気図からは、積丹岳では東寄りの風が北寄りに変わり徐々に強くなっていくと予測できます。
積丹岳に一番近い観測点の美国(標高75m)の1月31日午前9時のアメダスでは東北東の風3.2m、気温-2.9℃です。
雪庇の踏み抜き事故があった2月1日午前9時の天気図を見てみましょう。
低気圧は更に発達し、西高東低の冬型に変わっています。
北海道付近の等圧線は混んでいます。
天気図を見ると積丹岳では北北東の強風が吹いていたと思われます。
積丹岳に一番近い観測点の美国(標高75m)の2月1日午前9時のアメダスでは北北東の風4m、気温-4.4℃です。
冬場の北海道の日本海側地域では毎日のように雪が降り、平野部であっても降雪が一度もない日はほとんどありません。
北海道の大きいスキー場に行ったことのある人なら誰でも経験していると思いますが、平地が平穏でも、頂上付近では猛吹雪なんてことは普通にあります。
気温は標高が100m上がれば約0.5℃下がり、体感温度は風速1m/sで約1℃下がると言われています。
美国(標高75m)で-4.4だとすれば、積丹岳(1255m)山頂付近の気温は約-10℃、風が20m/s吹いていたとすれば、体感温度は-30℃に近かったのではないでしょうか。
暴風雪の中、遭難者と隊員はどちらも命がけの下山だったのでしょう。
遭難者の装備について
ビバーク時、雪洞を掘ってツエルト(非常用簡易テント)に入ったということですが、ビバークする旨の無線連絡からツエルトに入った旨の無線連絡までの時間が30分しかありません。
風や寒さを遮断できる完璧な雪洞をスコップで掘るには頑張っても1時間以上はかかります。
設営時間が30分だったとすれば、竪穴の半地下式に雪を掘ったのか?どのような雪洞を掘ったのだろうか?(雪洞には横穴式など地形によっていろいろなバリエーションがありますが斜面に横穴を掘るのが一般的です)
場所、積雪、雪質が良く、スコップがあって、体力が残っているなどの条件がそろえば、完璧な雪洞を掘ることは不可能ではありません。
雪洞の中は外が吹雪でも静かですし、どんなに外気温が低くても雪の中ですから気温は0度前後に保たれます。(ただし、入口が風下になる場所です)
一方、テントは布ですから風は防げても寒さは外気温と同じなります。
場所が雪洞を掘るのに適していなかったのか、スコップが小さめで雪を掘るのに効率が悪かったのか、雪洞を深く掘る体力が失われていたのか謎が残ります。(一般的な雪洞の作り方についての参考記事~「冬山~雪洞の作り方」)
※昭和40年3月、日高の札内川十の沢で北大山岳部6名が前代未聞の大雪崩に遭遇し雪洞ごと雪崩に埋められた事故を思い出しますが、沢田リーダーは4日間、雪の下で生存し、脱出を試みながら手記を残しています。大変悲惨な事故ですが、雪の中は温かく、酸素もある程度保たれるということがこの事故からわかります。(記事の詳細→「過去の遭難に学ぶ-札内川十の沢大雪崩事故」)
ビバーク(緊急露営)場所について
ビパーク場所は山頂付近となっていますが、悪天候に襲われた時はとにかく標高の低い場所に移動するのが基本です。
地形図を見ると、山頂の南側は急斜面で雪庇もありそうですし、山頂の北北西と北東の沢地形は雪崩が起きそうに見えます。
沢が危険なら、山頂から北北東に延びる尾根づたいに下ることも考えられますが、視界が悪くて身動きがとれなくなったのでしょうか。
遭難者はGPSで位置を通報したとあるので、スマホかハンディGPSを持っていたと思われます。
ハンディGPSなら、ナビのような使い方が出来ますので、ホワイトアウトしていてもある程度安全な行動が可能です。
最近はスマホに地形図アプリを入れ、ハンディGPSのように使用することが可能になりましたが、平成21年当時はスマホが出はじめのころだったので、緯度経度や大まかな位置はわかっても、ナビのようには使用できなったはずです。
一体どんなGPSを持っていて、どういう状況だったのでしょうか?
山岳警備隊の過失と遭難者の過失
この事件は民事裁判です。
最高裁は7割が遭難者の自己過失、3割は隊員が雪庇を踏み抜いた過失ということらしいのですが、報道で知る限り、隊員の業務上過失致死傷罪として刑事裁判にはなっていないようです。
隊員が雪庇を踏み抜く可能性を予見できたのかどうか、危険を予見していたとしてなぜ、そのルートを選んだのか。
隊員の技術不足だったのでしょうか?
それとも遭難者の容態が悪く、一刻を争う状況なので敢えて危険な最短ルートをとったのでしょうか?
滑落すれば遭難者はもちろん、自らの命も危険があることを承知していたはずですから、
訓練を積んだ山岳警備隊員が危険を予見しながら注意義務を怠り、漫然と最短ルートをとったというのは信じ難いのですが、裁判では過失が認められています。
複数の不運が重なり、人命が失われたこの事故と裁判の結果を私達登山者はどう受け止めたら良いのか。
このことで、警察が消極的になり練度を落としてしまうことは誰も望みませんし、我々登山者は常にリスクの高い趣味を自己責任で行っているということを強く認識しなければいけません。
救助を失敗すれば非難されますが、救助しても映画やドラマのように後日お礼を言いに救助機関を訪れる人などほとんどおりません。
警察への批判ばかりに終わらず、現場の隊員達への感謝の気持ちを私達登山者は忘れてはいけないと思うのです。
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