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元山岳部部長の登山講座

過去の遭難に学ぶ-カムエク八の沢カールヒグマ襲撃事件

カムイエクウチカウシ山八の沢カールヒグマ襲撃事件~特異な遭難事故を振り返る

過去に起こった特異な山岳遭難を検証していきます。

今回は昭和45年7月25日~27日、日高カムイエクウチカウシ山、八ノ沢カールにおいて福岡大学ワンダーフォーゲル同好会5名がヒグマの襲撃に遭い、3名が犠牲となった遭難事故を振り返ります。

※令和元年7月にカムエクで登山者がヒグマに襲われ負傷する事故が連続して起こりました。警戒して下さい。事故の詳細については「緊急!ヒグマが登山者を襲撃~カムイエクウチカウシ山」をご覧ください。




事故の概要

この遭難事故は当時新聞などで大きく報道され、テレビでは特別番組が放送されるなど全国に衝撃を与えました。

事故の概要について、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会が作成した「昭和45年度北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書」の内容をもとに、順を追って説明します。

(※報告書に記載された、関係者の証言やメモには日時や場所が相互に一致していない部分もありますので、時系列に矛盾がないよう整理しましたが、一部に間違いもあるかも知れませんのでご了承ください。)

北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書

福岡大ワンゲル同好会の山行計画は、

芽室岳~北戸蔦別岳~幌尻岳~七ツ沼カール~エサオマントッタベツ岳~春別岳~札内川九ノ沢カール~カムイエクウチカウシ山~ペテガリ岳下山

の予定で、北から南へ日高山脈の半分以上を縦走するという長大な計画でした。

メンバーは、

  • 竹末一敏さん(3年生、リーダー)
  • Aさん(3年生)
  • 興梠(こおろぎ)盛男さん(2年生)
  • Bさん(1年生)
  • 河原吉孝さん(1年生)

の5人パーティーでした。(AさんとBさんは生存者です)

7月14日

福岡大パーティーは御影(みかげ)に到着、芽室岳に入山、縦走開始。

7月25日

午後3時20分、カムイエクウチカウシ山の北側にある九ノ沢カールに幕営。

午後4時30分、テントから6~7mの場所にヒグマが出没(1回目)。メンバーはテントの中から興味本位で観察していたが、30分ほど経ってクマはテントの外に置いてあったキスリング(木綿製の大型ザック)をあさり、中の食料を食べ出した。メンバーはクマの隙を見て、ザックをすべて回収しテントの中に入れた。この後、たき火を燃やし、ラジオの音量を上げ、食器を鳴らすなどしているうちに、30分くらいでクマはいなくなった。

当時の標準的なキスリング。

午後9時、クマの鼻息が聞こえ、クマはテントにこぶし大の穴を開けた(2回目)。パーティーは2名ずつ2時間交代で見張りを立てて一夜を過ごす。

7月26日

午前4時30分、出発の準備をし、荷物のパッキングが終わりかけていた時、またクマが出没(3回目)。クマは徐々に近づきテントに手をかけ侵入しようとした。メンバーはテントが倒されないようポールを押さえていたが、5分ほどしてもうダメだと判断し、クマのいる方とは反対側のテントの入口(当時の標準的な三角型テントは入口が2か所あった)を開け、全員一斉に1900m峰の次のピークに向かって50mほど逃げた。クマはテントを倒し、キスリングをあさっていた。(その後クマは約2時間ザックをあさる)

午前5時、竹末リーダーはAさんと河原さんに営林署に行きハンターを要請するよう命じた。Aさんと河原さんは九ノ沢を下りた。

午前6時35分~午前10時35分、クマは去ったので、メンバー3名は休憩をはさみながら、テントとザック4個を稜線上の縦走路まで上げる。その後鳥取大パーティーと中央鉄道学園パーティーが通過したのでクマに注意するよう伝える。

午前7時15分、Aさんと河原さんは八ノ沢出合でクマから避難するために下山中の北海学園大学のパーティー(約10名)と出会い、事情を説明し、ハンター要請と学校への連絡の件を依頼したあと、同パーティーから食料2日分、地図、ホエーブス(コンロ)、ガソリン、メタ(固形燃料)、ローソク、ポリタン、サブザックを借り、メンバーと合流するため、八ノ沢経由で引き返した。

午後1時、Aさんと河原さんは稜線上でメンバー3名と合流し、約1時間、休憩やパッキングをした。

午後2時30分~午後3時、メンバー5名はカムエク方向へ出発。1時間~1時間30分歩き、カムエクと1900m峰の稜線の中間にあるピークにテントを設営することにし、テントの修繕と設営、食事の準備をする。

午後5時10分、食事とテントの設営が終わったころ、またクマが現れる(4回目)。メンバーは一斉に縦走路をカムエク方向に約50m下る。

竹末リーダーは興梠さん、河原さんに八ノ沢カールにいる鳥取大パーティーに宿泊を依頼するよう命じた。

竹末リーダーは2回テントを見に行ったが、クマが立ち去らないので、残る3名は鳥取大のテントに向かうことにした。途中稜線で興梠さん、河原さんと合流した。(興梠さん、河原さんは八ノ沢カールにある鳥取大のテントを稜線上から確認したのみで宿泊依頼はしていない)

時間は午後6時を過ぎていたため、八ノ沢カールに下りるための通常ルートでは時間がかかり、夜になってしまうのでカムエク頂上の100m下の付近から八ノ沢カールを目指すことにする

午後6時30分、稜線を60~70m下ったところでクマが稜線から下りて追いかけてきたので、全員一斉にカール方向へ逃げる(5回目)。はい松の中で河原さんと思われる「ギャーッ」という叫び声がし、河原さんは「チクショウ」と叫び、クマに追われながらカール方向へ下って行った。その後、竹末リーダー、Aさん、Bさんの3名が合流したが、興梠さんは返事は聞こえたが行方がわからなくなる。

残ったメンバーは皆で鳥取大テントに向かって助けを求めて叫んだ。

鳥取大は2か所にたき火を焚き、ホイッスルを吹くなどした後、下山していった。

午後8時、竹末リーダー、Aさん、Bさんの3名は安全と思われる岩場に避難し一夜を過ごす。

行方不明となった興梠さんは、クマに投石などしながら、鳥取大のテントにたどり着くが、テントには誰もいず、その後クマの襲撃を受けることになる。残されていたメモには翌27日までの記載があった。(メモの詳細についてはこちらに掲載しています。→「興梠メモ(全文)~カムエク福岡大ヒグマ襲撃事件」)

7月27日

午前7時、鳥取大テントにいた興梠さんは、八ノ沢を下りることを決めたが、テントの近くにクマが現れたのでテントの中で待機する(6回目)

午前8時、竹末リーダー、Aさん、Bさんの3名はカールに下りる途中でクマに遭遇(7回目)。竹末リーダーはクマを押しのけた後、クマに追われながらカールの方へ逃げて行く。

午後1時、AさんとBさんは、五ノ沢の砂防ダム工事現場に到着、助けを求める。

午後6時、AさんとBさんは、中札内駐在所に到着する。

7月28日

捜索隊出発

7月29日

午後2時50分、八ノ沢カールの北側のガレ場で竹末リーダーと河原さんの遺体を発見。

午後4時30分、カール下方から現れたヒグマを、ハンター10名が一斉射撃により射殺。

7月30日

午後1時28分、カール下部50mの沢の中(鳥取大テントから約100m)で、興梠さんの遺体発見。

7月31日

午後5時、天候が悪く遺体の搬送ができないため、3遺体は八の沢カールの岩の上で荼毘にふされる。

 

遺体の状況

発見された3遺体はいずれも着衣がすべて剥ぎ取られており、全身に咬み傷、爪痕が無数にあった。

3遺体ともに、頭部や腹部の損傷がひどく、判別がつかないほどであった。

死因はいづれも頸部などの損傷による失血死とみられています。

 

射殺されたヒグマ

射殺されたヒグマは3歳半の雌、体毛はクリーム色(金毛)で体長はさほど大きい個体ではありませんでした。

ヒグマが学生達を襲った原因ついては、ヒグマは食料を目的に人に近づき、食料の入ったザックを手に入れることに成功したが、人にザックを奪い返されたため、そのザックを再び奪取するために、邪魔な人間を排除する目的で人を襲ったとするのが通説です。

射殺されたヒグマの胃の内容物から人体の一部が発見できなかったので、このクマは人間を襲撃し、もてあそんだのみで、食肉が目的ではなかったと推定されています。

胃の内容物から人体の一部が発見出来なかったとのことですが、遺体の損傷には食害の痕跡があり、食肉も目的だったとする説も存在します。

いずれにせよ、このヒグマの行動からは、「登山者のザックには食料があり、奪うことが容易」、「登山者はまったく恐ろしくない」などの意思が感じられます。

ヒグマは通常、人間を恐れますので、人間の気配を感じるとヒグマの方から避けてくれます。

しかし、人間がクマの生息域に食料を捨てたりすることなどで、クマが人間の食料の味を覚えてしまい、人間を恐れず、人に寄り付くようになるクマも時折出てきます。

日高山脈のように、入山者が極端に少ない奥深い場所でも、このように人の食料の味を覚えてしまうクマが発生するのだと、事件は教えています。

学生を襲ったヒグマの剥製(日高山脈山岳センター)

福岡大パーティーの遺品(日高山脈山岳センター)

射殺されたヒグマはその後、剥製となり、福岡大パーティーの遺品などと共に、現在、中札内村にある日高山脈山岳センターに展示されています。

(展示されている剥製はハンターの一斉射撃で毛皮がぼろぼろになり、つなぎ合わせて作った結果、実際の大きさより小さくなってしまったとセンターの職員が話していました。)



事故現場の地形図

福岡大パーティーの逃走経路やヒグマの襲撃現場をおおまかに地形図に表しました。

(※前述の遭難報告書をもとに作図しましたが、同報告書中の事故現場付近の概念図には誤記と思われる部分もありましたので、関係者の証言や時系列を参考にわかる範囲で作図しています。)

青線は福岡大パーティーがヒグマに遭遇した後の移動経路です。

黒丸はヒグマの襲撃(出没)現場で、図中の4か所になります。

①②③は九ノ沢で幕営中、最初に襲撃されたと思われる場所です。

④は稜線に避難し、テントを張った後に襲撃を受けたと思われる場所です。

この場所についてですが、1900m峰とカムエクの中間付近であり、かつ、九ノ沢カールを上がった稜線から、1時間~1時間半歩いたピークとされていますので、図中に示したピーク(標高1760m)ではないかと思います。

(1900m峰について:現在の地形図では九ノ沢カール付近に標高「1900m」のピークはありません。これについては、中部日高山脈一帯の標高は、測量の関係と思いますが、古い資料では現在より約2~3m低く表記している例が複数あり(例えば1839m峰は現在では1842mなど)、現在の1903m標高点がある図中のピークが「1900m峰」だと思われます。)

⑤⑦は鳥取大テントがある八ノ沢カールに移動中に襲撃を受けたと思われる場所で、⑤で河原さん、⑦で竹末リーダーが犠牲となっています。

カムエク手前100m下の稜線(標高1880m付近)から八ノ沢カールへ下りたとされていますが、この付近には大きなルンゼ(急峻な岩の溝状地形)があり、このルンゼに沿ってカールに下りようとしたのではないかと思います。

カムエク手前100m下のルンゼ。この崖を下りたと思われる。

⑥は鳥取大のテントが張ってあった場所で、ここでパーティーからはぐれた興梠さんが犠牲になっています。

鳥取大がテントを張った八ノ沢カールのテン場。

遺体の発見場所ですが、八ノ沢カールの北側のガレ場に1名、その下方約100mに1名、鳥取大テントから約100m下部の沢で1名が発見されています。

図中では、赤の◇印で示しており、左から竹末リーダー、河原さん、興梠さんの順になります。

なお、各襲撃時間はすべて日中ではなく、ヒグマの活動が活発になる、早朝、夕方、夜間となっていることに注目しなければなりません。

 

事故が教えたもの

八ノ沢カール全景(カムエクから見下ろす)

この事故は福岡大パーティーだけに焦点が当てられていますが、同じ時にカムエク周辺では複数のパーティーが入山しています。

北海学園大パーティーは福岡大パーティーが最初にヒグマに襲われる前日に春別岳(九ノ沢カールの北側の稜線)付近でヒグマに襲われ、ザックを放棄するなどして緊急下山をし、事なきを得ていますが、このヒグマは福岡大パーティーを襲ったヒグマと同一個体ではないかと見られています。

この特異な事件は全国に大きく報道され、

・ヒグマは一度触れたものを自分の所有物と思い、それを取り返せばヒグマは自分のものを奪われたと認識し、執拗に追ってくること
・ヒグマに遭遇した時、背を向けて逃げると襲いかかってくること

などに代表されるヒグマの習性が、登山者や多くの一般市民が知るきっかけとなりました。

これらの習性は今でこそ登山者の常識となっていますが、ヒグマと遭遇した場合の一般的な対処法は3名が犠牲となったこの事件が契機となっていることを忘れてはいけません。

※ヒグマの対処法について詳しくは、「最新ヒグマ対策のまとめ~正しい対処法が身を守る」「登山とヒグマ対策1~ヒグマの習性」「登山とヒグマ対策2~ヒグマを避ける方法を読んでみて下さい

 

慰霊碑

八の沢カールにある慰霊碑

火葬の際、ハンターが7発の弔砲を撃ち、無線で帯広警察署外勤司令室に「ただ今から火をつける」と伝えた後、遺族から「・・・安らかに眠りなさい」との言葉がありました。

捜索隊長は、「さあ、風は南に変わった。興梠君、河原君、竹末君よ、南へ吹くこの風に乗って遠い九州の博多へ帰りたまえ。そして安らかに眠って下さい。」

と弔辞を述べたと言います。

八の沢カールには事件の慰霊碑があり、荼毘をしたとされる3枚の大きな平たい岩が静かに横たわっています。

八ノ沢カールに点在する平たい大岩。

参考文献:福岡大学ワンダーフォーゲル同好会編 昭和45年度北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書






プロフィール

フリーランサー。元船員(航海士)
学生時代に山岳部チーフリーダーを経験し、阿寒、知床、大雪を中心に活動。
以来、北海道の山をオールシーズン、単独行にこだわり続け35年。
現在は主に日高山脈をフィールドにしている山オタクのライター。

※他サイトにおいて元山岳部部長を名乗る個人・団体が存在しますが、それらは当サイトとは一切関係ありませんのでご了承ください。



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