3Sep
幌尻岳3名溺死~遭難事故を分析する
平成29年(2017年)8月29日、幌尻岳(2052m)を下山中のパーティーが額平川(ぬかびらがわ)四ノ沢出合付近で渡渉中、3名が溺死するという遭難事故が発生しました。
幌尻岳は、日高山脈という国内屈指の特殊な山域にあり、気軽に登れる山ではまったくありませんが、日本百名山になっているため、登山者数が多く、遭難事故があとを絶ちません。
幌尻岳では滑落や沢の増水などによる死亡遭難事故が数年に1回の割合で起こっています。
事故現場となった額平川では平成15年(2003年)8月に台風の接近にもかかわらず、多くの登山者が入山していたため、29名が沢の増水で山荘から動けなくなり、災害派遣の自衛隊ヘリにつり上げられるという大ごとに発展しています。
また、平成22年(2010年)8月には同じく額平川で4名が流され1名が死亡するという事故が起きています。
今回は、報道から読み取れる範囲で溺死事故の原因を推測し、分析していきます。
事故概要
8月28日、日本山岳会広島支部所属の60代~70代の男女8名のパーティーは幌尻岳(2052m)を登頂後、幌尻山荘(950m付近)に宿泊した。
翌29日午前5時30分ころ、深夜からの雨で沢は増水していたが、下山を決定し山荘を出発した。
額平川四ノ沢出合(830m付近)で川幅約10メートルの場所を渡渉する際、生存者のFさんは「流れが速いかな」と思った。
普段の水深は約50センチだが、増水で約1メートルと深くなっていた。
60代男性のKさん(のちに死亡)がまず渡渉し、後続者の安全のために両岸の木にロープを固定した。
金具で体をロープに固定した、60代男性のHさん(のちに死亡)が2番目に渡渉したが、中ほどで足を滑らせた。
KさんはHさんの助けに入ったがザックが浮き、頭部が水中に没した。
続いてFさんと70代男性のAさん(のちに死亡)が助けに入ったが、Aさんも水流に飲み込まれた。
他の5人が近くにいた登山客に協力を求め、幌尻山荘の管理人が同日午前10時55分ころ衛星電話で119番通報した。
3名は金具でロープにつながれたまま溺れており、仲間が付近の岸に引き揚げたのち、道の防災ヘリで病院に搬送されたが、3名とも死亡が確認された。死因はいずれも溺死。
他の5名は自力で下山し無事だった。
死亡した3名は相応の登山歴を有するベテランだったという。
事故現場付近の地形図
額平川コースの概要
幌尻岳には新冠コース、北戸蔦別岳からアプローチするコースなどがありますが、事故のあった額平川コースは、最も人気が高いコースで知られます。
林道ゲート(第2ゲート)から取水ダムまで、約1時間半の単調で精神的にもきつい林道歩きのあと、額平川本流に入渓します。(現在、第2ゲートまではシャトルバスのみ乗り入れ可。)
入渓点から幌尻山荘までの遡行は、日高の沢登りとしてはそんなに長いわけではなく、順調なら2時間半ほどで山荘まで行けますが、山荘から幌尻岳山頂までの往復(標高差1100m)は7時間ほどかかりますので、日帰りは難しく、通常は1~2泊、山荘泊か山荘前で幕営をします。(現在は幕営できません。)
額平川本流の遡行ですが、取水ダムの入渓点から四ノ沢出合までは渡渉もなく、ほぼ順調に進みますが、四ノ沢出合には函(ゴルジュ)があり、ここから山荘までは通常15回程度の渡渉を繰り返しながらの遡行になります。
額平川の渡渉点の水量は通常は膝くらいで、少し深い場所でも腰下です。
流れは急流ではありませんが、緩やかな沢でもありません。
雨が降ると比較的増水しやすい沢なので天気まわりには十分に注意が必要です。
基本的に危険な山ばかりの日高山脈としては、とりたてて難しい部類のコースとも言えないのですが、日高以外の山と比べれば、それなりのバリエーションコースと言えます。
幌尻岳は体力があり、沢登りの基本を習得した、登山の総合力を持つ一定レベル以上の登山者が挑む山です。
初心者でも安全に登れるレベルの百名山はたくさんありますが、それと同じ並びで考えてはいけません。
事故現場付近(四ノ沢出合)
山荘から1時間ほどかけて、10数回渡渉を繰り返しながら沢を下ったあたりが四ノ沢出合いで、沢の核心部分はここで終わりです。
ここから先は渡渉もありませんのでひと安心という場所です。
沢の幅は報道のとおり10mほどで、増水してなければ膝くらいの深さなので、通常は難しい渡渉ではありません。
事故当時の天気図とアメダス
事故前日の8月28日18時の天気図を見ますと、沿海州に前線を伴った低気圧があり、北海道付近は間もなく天気が崩れ出すことがわかります。
朝早く山荘を発てば、幌尻岳を登頂しそのまま下山するのは時間的には十分可能です。
幌尻岳から山荘に戻った時間にもよりますが、ひとつの可能性として、翌日悪天が予想される場合は山荘に泊らず、沢が増水する前に大事をとって下山してしまうという選択肢もあったのではないかと思います。
翌29日午前6時の天気図を見ると、温暖前線が北海道付近を通過したところで、28日夜から29日朝にかけて雨が降ったと思われます。
実際にアメダスを見てみます。事故現場に一番近い平取町旭(標高245m)の観測データでは、
- 28日降水なし
- 29日
- 01:00 0.5mm
- 02:00 1.5mm
- 03:00 2.0mm
- 04:00 2.0mm
- 05:00 9.0mm
- 06:00 6.0mm
- 07:00 6.0mm
- 08:00 2.5mm
- 09:00 1.0mm
- 10:00 0.5mm
となっています。
データでは29日未明から午前10時までの10時間で31mmの降水があります。
パーティーが山荘を出発し、事故にあったであろう時間帯の午前5時から午前7時は1時間に6mm~9mmと、雨足がやや強まっています。
雨は山間部の方が強く降る傾向がありますので、現場付近ではこれ以上の降水があったのではないかと思います。
このくらいの雨で、額平川は短時間に50cmは水位が上がるということです。今後の教訓にしなければなりません。
事故原因を推測する
今回の事故に限らず、山岳遭難の報道内容は不十分なものが多く、登山者としては真相はどうだったのかがとても気になります。
報道内容が間違っていないことを前提に事故の様子を推測してみます。
パーティーが山荘を出発した時には、それなりの雨が降っていて、沢の水位も上がっていたが、山荘から四ノ沢出合までの渡渉が多い区間は、順調なら約1時間で踏破できることもあり、慎重に歩けば下山可能と判断しての出発だったと思います。
四ノ沢出合までは通常15回程度の渡渉がありますので、事故が起こる直前にも増水した沢を、時にはロープを渡すなどして、何度も渡渉していたはずです。
事故が起こった四ノ沢出合の渡渉点は、最後の渡渉点付近だったと思います。
この段階では、何度も渡渉しているので、慢心したか、あるいは、雨と度重なる難しい渡渉で、メンバーによってはかなりの疲労が蓄積していたのかも知れません。
一番トップに渡渉したKさんは、ロープを持って対岸にロープを張る役目だったと思いますので、絶対に転倒してはならず、パーティーの中では一番力があったのではないかと思われます。
Kさんが渡渉中に不安を感じれば、後続メンバーの渡渉を中止させると思いますが、行けると判断したのでしょう。
報道によれば、体を金具でロープに固定していたとありますので、二番目以降の人は張り合わせたロープと腰に装着していたハーネスをカラビナで連結して、万一転倒しても流されないようにして渡渉したのだと思います。
逆に言うと、転倒すると体が流されるほど、沢は深くて流れが速かったからこのような措置を取ったとも言えます。
二番目のHさんは水流の強い場所で耐えきれず転倒し、掴んでいたロープから手が離れたのだと思います。
当時の水深は「約1m」とありますので、身長にもよりますが、ほとんどの人は腰上、背の低い人なら胸あたりまである水深です。
腰上まで水深があると、ザックの下部が水に没します。
ザックは「浮き」になるほど浮力がありますので、ザックが水に浸かると体が軽くなり、沢底を踏みしめる重力が減少します。
ましてや、転倒すればさらに浮力は増し、水流に翻弄され起き上がることは困難になります。
ザックの浮力が邪魔になるのを少しでも防止するためには、ザックのウエストベルトをはずしておくことが有効とされ、この場合、万一転倒してザックの浮力で態勢が立て直せなかった場合に、ザックを背中からはずしやすいという利点もあります。
報道では「ザックが浮いて、頭は水中に没した」とあります。
ウエストベルトを着けていたかどうかはわかりませんが、まさにザックの浮力のせいでそのようなことが起こったのだと推測します。
また、ロープとハーネスをカラビナで直接連結していたのか、スリング(短いロープの輪)を介して連結していたのかは不明ですが、ロープと体をカラビナで連結したまま転倒すると、スリングの長さや、ロープの張り具合によっては、体の自由が奪われて起き上がれず、ロープに連結されたまま溺死してしまうことがあるとも言われています。
今回はそれと同じ状況だったのではないかと推測します。
カラビナを付けずに渡渉したとしても、転倒してロープから手が離れればそのまま急流に飲み込まれますので、やはりカラビナは付けるでしょう。
Hさんを救助するために沢に入った、KさんとAさんも溺れたとありますが、渡渉するのに自分の体を支えるのがやっとの状況だったとすれば、転倒した人を起こすのはほぼ不可能だったと思われます。
だからといって、目の前で溺れる仲間をただ見ていることなどはできるわけもありません。
事故にタラレバは付き物ですが、ではどうしたら事故は防げたのかを考えてみます。
増水した沢の渡渉方法。ロープの使い方に注意
増水した沢を渡渉する場合、今回のパーティーのように、対岸の木などにロープを張り(たるみがないようしっかり張ります)ロープをガイドにして、手すりがわり、あるいは、カラビナでロープに体を連結して転倒しても流されないようにします。
ロープの張り方にはおおむね2種類あり、ひとつは、沢の流れに対して直角に張る方法、もうひとつは沢の上流から沢の下流にかけて斜めにロープを張る方法です。
上の図は直角に張る方法で、この方法は比較的多いと思いますが、難点があるとすれば、カラビナを連結した状態で転倒すれば、場合によっては体の自由が効かず、起き上がれなくなり、そのまま溺れてしまう可能性があるということです。
これを防ぐためには、図2のように、対岸に張ったロープとは別に、渡渉者が転倒した場合に岸まで引き上げられるよう、渡渉者の腰に引き上げ用のロープをとっておくことです。
転倒した人を引き上げるといっても、水の抵抗があり、簡単ではありません。
しかし、引き上げ用のロープをつけていれば、転倒しても助かる確率は上がります。
図3は上流から下流に斜めにロープを張る方法です。
この方法の利点は、万一転倒して流されても、ロープがガイドになって下流の対岸に着く可能性があるということです。
難点としては、長いロープが必要になるということと、必ずしもいい場所に支点をとれるような木などがあるかどうかということです。
今回の事故は3名がロープに連結されたまま溺れていたとありますので、図2や図3の方法ではなく、図1のような方法だったのではないかと推測します。
(渡渉の仕方についての詳しい記事は「はじめての沢登り~渡渉の仕方とコツとは?」を読んでみて下さい。)
的を得てない報道内容とコメント
ベテランが遭難?
今回の事故では、「ベテランが何故?」という文言が多かったのですが、「ベテラン」の定義とは単なる登山歴なのでしょうか?
山は山域やコース、気象、季節によってその難易度は大きく変わります。
いくら登山歴が長くても、経験の少ない状況に出くわすことはあります。
一般的な登山と沢登りを伴う登山とでは、技術的にかなり違います。
ベテランでも、沢登りの経験が少なければ、沢に関してはベテランとは言えません。
山岳会所属
パーティーは社会人山岳会のメンバーだったようです。
社会人山岳会の会員は、たしかに一般の登山者より技術や知識が豊富だといえますが、山岳会といってもトレッキング程度のものから、夏山縦走、厳冬期登山など、会の中でも好みや力量などでグループが分かれている場合が多くあり、山岳会員だからみんな高度な技術を持っているとは限りません。
リーダーは?
パーティーのメンバーは相応の登山歴があったと報じられていますが、リーダーが誰だったのかは明らかにしていません。
登山パーティーにおいて、リーダーはパーティーを安全に下山させるための責任や権限があり、事故が起これば、ほとんどの場合リーダーの責任となります。
行くのか行かないのかを、最終的に判断するのはリーダーですので、リーダーの詳しい経験値こそ必要な情報です。
単なるメンバーの登山歴だけではなく、リーダーが沢登りに対する十分な知識と技術と経験があったのかどうかがわからなければ、事故の全体像はボケてしまいます。
地元山岳会員のわかりづらいコメント
STVニュースでは地元山岳会のインタビューとして、「転倒すると、ザックに水が入り、上がるに上がれなくなる」「通常はフエルト底の沢靴を履くが、遭難者は地下足袋にわらじを履いていたので滑ったと思う」とコメントしています。
前述のとおり、ザックは砂袋でも詰めない限り、浮力があります。
沢登りではザックを浮きの替わりにした「泳ぎ」という技術もあるくらいです。
「水が入って上がるに上がれなくなる」とはどういった状況を言っているのかよくわかりません。
また、フエルトよりわらじが劣るということは考えられません。
わらじとフエルトは、沢登りにおいては、コケやぬめりに強いという似たような特徴がありますが、両者を比較した場合、通常はわらじの方がフリクションは高くなります。
確かに、わらじは歩いているうちに、ぼろぼろになり、滑った時には、半分なくなっていることがよくあります。
なので、必ず2、3足予備のわらじをぶら下げて歩きます。
現在は、ほぼ地下足袋にわらじ派は絶滅しましたので、わらじを知らない世代が増えたのかも知れません。
この事故は人が3名も亡くなっています。
事実関係や事故原因はもちろんのこと、識者のコメントについても核心をついた、わかりやすい報道をしてもらいたいものです。
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まとめ
日本百名山には多くの登山者が集中します。
殊に難易度の高い山では、死亡遭難事故が頻発し、同じような場所で同じような事故が繰り返されます。
メディアはNHKを中心に日本百名山を煽りますが、事故が起こっても、原因究明につながるような核心をついた報道はほぼありません。
事故の再発防止のためには、報道に惑われることなく、情報を精査する必要があるでしょう。
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