31Mar
東大雪山系ニペソツ山(2013m)、天狗岳からの下りで、最低鞍部(1725コル)の少し手前にある小スペースに慰霊碑があるのをご存じの方は多いと思いますが、この遭難事故の詳細を知っている人は少ないと思います。
慰霊碑に記載のある、昭和60年(1985年)9月16日、筆者はこの遭難事故の慰霊登山に参加しましたが、そのような関係で、この事故の詳細が書かれた事故報告書・追悼集「ニペソツにーニペソツに逝った友を偲んで(道東地区勤労者山岳連盟編)」を手にする機会があり、この事故の詳細を知ることになりました。
今回は、昭和60年(1985年)1月4日、ニペソツ山、1725コル付近で発生した雪崩事故(3名死亡)について紹介していきます。
事故概要
山行計画
日程 昭和60年(1985年)1月1日~1月4日(1/5予備日)
山域 ニペソツ山(2013m)東壁
1/1 12:00釧路出発~17:00十勝三股、杉沢出合
1/2 06:30杉沢出合~15:00天狗のコル(1570m)幕営(B.C)※B.C:ベースキャンプの略
1/3 05:00天狗のコルB.C~07:30取付き、東壁登攀~14:00登攀終了~16:00天狗のコルB.C
1/4 08:00天狗のコルB.C~14:00十勝三股~19:00釧路着
1/5 予備日
メンバー
Yリーダー(当時31歳、釧路羆の会)
Sさん (当時26歳、釧路勤労者山岳会)
Tさん (当時24歳、釧路羆の会)
山行計画は、当時、釧路地区で最もレベルが高かった社会人山岳会のひとつ、「釧路羆の会(昭和57年(1982年)釧路勤労者山岳会から独立)」の、Yリーダーが立案し、羆の会と釧路労山(ろうざん:勤労者山岳会の略称)の力量のある若手会員2名が加わって実行されました。
山行計画からは、大まかなルートしかわからず、どのようなルートでニペ東壁に至り、東壁のどこを登攀するのかについて、計画書には詳しく書かれていませんでした。
「ニペソツに」の考察によれば、杉沢出合~天狗のコル(B.C)のあとは、事故があった1725コル(ニペ本峰ー天狗間の最低鞍部)南東斜面を下降し、東壁の下に出て、そこから東壁の「南峰リッジ」を登攀する予定だったと推測しています。
ルートの概略は下図のとおりです。
事故の時系列
1月1日
昼、Yリーダー、Sさん、釧路出発。途中、帯広で札幌から来るTさんと合流。
夕方、十勝三股~杉沢出合(1020m)到着。
1月2日
杉沢出合出発~天狗のコル(1585m)到着、テント設営(B.C)。
1月3日
地吹雪のため、東壁登攀中止。天狗のコルから天狗平(1835m)に移動、雪洞泊。
12:10 Yパーティーとは別に行動していた、同じ羆の会のSパーティー(杉沢出合~ニペ頂上往復予定)が悪天のため、1725コルの少し先で引き返したが、引き返しの途中、天狗平でYパーティーとすれ違う。
Sパーティーによれば、Yリーダーは「明日もこのように、風が強かったら登攀はしない。決して無理はしない。」「5日が予備日なので少し行動してくる。いずれにしても無理はしないで下山するから。」と言っており、平常な様子であったとのこと。(Sパーティーは、Yパーティーの行動の詳細は把握していない)
1月4日(下山予定日)
06:00過ぎ 天狗のコル出発。快晴無風。
07:00ころ 日の出。1725コル南東斜面下降開始。直後にYパーティーの付近で雪崩が発生(面発生乾雪表層雪崩)、3名全員が行方不明となる。
20:15 帯広警察署から釧路羆の会に電話連絡が入る。「1月3日夜、ニペソツ山、天狗手前に雪洞を掘り、テント地を共にした、音更山の会パーティーから、雪洞にシュラフ3個、コッヘル等が残置され4日19:45になっても戻って来ない。東壁下部に雪崩跡が認められ心配である。と無線連絡があった。3人の所属、氏名、計画の概要を確認したい。」
1月5日
09:20 帯広警察署から釧路羆の会に連絡。音更山の会からの情報によると「09:00現在3人は雪洞に戻っていない。鞍部稜線にデポ旗があり、大きな幅の雪崩跡と下方にデブリ(雪崩が堆積したもの)が確認される。上から降りるのは困難で近寄り難い。雪洞テントに残されているものは、コッヘル、マット、ガスコンロ、食料、ヘッドランプ。現在は風が強く雪が舞っている。」とのこと。
音更山の会は行動を中止し、捜索活動を行っている。
12:30 道警ヘリが偵察のために出発。
1月6日
05:00 道東地区勤労者山岳連盟による、第一次捜索隊出発。
06:30 陸上自衛隊ヘリが捜索開始。
10:10 第一次捜索隊先発隊、雪洞(天狗平)到着。音更山の会と合流。1725コルから現場への下降は無理と判断。
先発隊によれば、「Yパーティーのトレースから雪崩が起きている。上部は亀裂があり、雪崩の危険。下方から(幌加川方面から)捜索するよう検討。」
1月7日
捜索隊、自衛隊の支援を受け、幌加川沿いの林道から現場へ向かう。
1月8日
捜索隊、事故現場の下部、デブリに到着。雪崩は幅50m、長さ1400m、深さ3~5m
1月9日
09:45 デブリ最先端の表面でSさんの青いヘルメット発見。
09:50 デブリ下部で、Yリーダーの赤いヘルメット、赤いザック(スノーバー2本、アイスバイル付き)発見。
1月12日
捜索困難のため、捜索を一時中断。
4月27日
第二次捜索開始。
総堀り、トレンチ堀りとゾンデーレン(プロービング)のほか、ウオータープロービング(融水を利用してホースで水を流し、雪に穴を開ける捜索法)を実施。
4月29日
09:10 デブリ末端から11.4m上部でTさんの腕時計の鎖を発見。
11:10 デブリ末端から10.6m上部、深さ2.2mの場所で、Yリーダー発見。
頭部に出血があった以外、外傷なし。全身が氷に包まれていた。ザイルは着けていなかった。
5月3日
12:50 デブリ末端から132.4m上部、深さ1mの場所で、Tさんの赤いミトン発見。
13:20 デブリ末端から56.6m上部、深さ50cmの場所で、Tさん発見。外傷なし。
15:50 デブリ末端から124.4m上部、深さ1mの場所で、Sさん発見。外傷なし。
事故現場の見取り図
発生区及び堆積区(デブリ)の状況
雪崩の発生区及び堆積区(デブリ)の正確な場所について、「ニペソツに」には手書きの略図が何枚かありますが、地形図に記載された詳しい図面はありません。
そこで、文中の内容や略図、写真などを精査して、なるべく矛盾がないように地形図に記載すると、上記の図2、3のようになります。
なお、「ニペソツに」の文中には「1750m付近が発生点で、1300m付近まで落下している」と考察されておりますが、発生点(被災地点)については、Yパーティーは1725コルから小リッジ(小さな岩状の尾根)を下降しようとしていたと推測されており(図3参照照)、コルの稜線から小リッジまでは、急な所(ロープが必要となるような所)は避け、トラバース気味に下降しながら最短ルートで小リッジを目指していたのではないかとされておりますので、図3のように、小リッジの上端、やや手前の稜線上(1740m付近)から下降し始めたものと思われます。(写真1参照)
現場に残されたトレースは2本(約10mのものと50~60mのもの)ありますが、長い方のトレースの下端に雪崩の破断面があり、この場所が発生点(被災地点)だと推測されます。
即ち、発生点は1740m付近から50~60m下降した場所ということですので、図3の星印、1700m付近を発生点とするのが、妥当ではないかと思います。
なお、図3のように、発生点の北側にも雪崩の破断面があり、発生区はV字状を呈していますが、北側の破断面は、V字の南側の発生点で起きた雪崩の衝撃で誘発したものであると考えられています。
デブリの範囲についても明記されていませんが、「ニペソツに」記載の略図からは、デブリの全長が300m程度(最大幅77m、深さ3~5m)であると読み取れ、デブリの上端は図3のように、1725コルの南東斜面にある2本の顕著なルンゼ(狭くて急な岩状の沢)の合流点、即ち、雪崩の走路上(青矢印)のルンゼと小リッジの南側にあるルンゼが合流する付近(1450m付近)であると読み取れます。
ですので、1450m付近から、沢に沿って約300mの場所(1330m付近)が、デブリの末端であると考えられます。
まとめますと、1700m付近で発生した雪崩は、付近の雪崩を誘発しながら1330m付近まで到達したものと推測されます。
捜索の方法
雪崩埋没者の捜索方法としては、ゾンデーレン(プロービング)による方法(細く長い棒を雪に突き刺して埋没者を探索する方法)、トレンチ堀りによる方法(デブリに大きな溝を何本も掘ってゾンデーレンを行う方法)、総堀りによる方法(スコップで雪をすべて取り除く)などがあり、この事故の場合も同様の方法が取られていました。
この事故の第二次捜索では、これらの方法に加え、京大山岳部出身者の指導による「ウオータープロービング」という捜索方法も行っていました。
ウオータープロービングとは、融水や沢水を導いて、タンクなどに集め、ホースを使用してタンクの水を放水し、放水の圧力で雪面に複数の穴を空け、空いた穴の中をライトなどで照らして埋没者を探す方法です。
言わば、水を使ってゾンデーレンを行うような方法ですが、この事故の場合、波板鉄板を雨どいのように使って、デブリ上部の雪解け水を下部に導水し、ポリのドラム缶(ホースが取付られるように加工したもの)に水を集め、ドラム缶から伸びるホースで雪面に放水することで、直径30cm、深さ3m(地面まで)の穴を5~10分程度で空けられたとあり、捜索の作業効率が上がったとされています。
水を利用した捜索は、平成3年(1991年)明大山岳部の利尻山遭難事故の際にも、トレンチ掘りに活用(導水融雪法)されています。
埋没者発見時の状況
遭難した3名は、4月29日にYリーダー、5月3日にTさん、Sさんがデブリの中から発見され、現場から帯広警察署に搬送されています。
警察による検視の結果、3名とも、胸部圧迫による窒息死、事故発生1分以内に死亡、との所見でした。
雪崩発生の原因は?
面発生乾雪表層雪崩
この雪崩は、「面発生乾雪表層雪崩」であるとされております。
面発生乾雪表層雪崩とは、積雪層の中にある「弱層」が、上層の雪の重みに耐えられずに崩壊し、上層の雪(乾雪)が板状に滑り出して起こるタイプの雪崩です。
1月10日、幌加川方面から登って来た捜索隊が、雪崩発生点付近を確認していますが、発生点付近には上層の積雪がすっぱりと削り取られた跡(破断面)があり、断面の深さ70~80cmのところに「霜ざらめ雪」の層を確認しています。
霜ざらめ雪は、極めて結合の弱い、もろい雪質であり、一般的に弱層の原因となることが多い雪質です。
面発生タイプの表層雪崩は、こう言う結合の悪い層の上に、まとまった雪が降り積もることによって、上層の積雪が安定性を失い、雪崩を発生させます。
当時、幌加川方面からニペ東壁を目指していた別パーティーの話によれば、12月30日、中央ルンゼで雪崩が発生、1月1日には、30cm程度の積雪があり、1月2日にも、正面(中央)リッジの取付き付近で雪崩が発生しており、積雪は不安定な状態であったとしています。
加えて、事故前日の1月3日には激しい北西の地吹雪が吹き荒れ、この地吹雪により、1725コルの風下(南西斜面)では吹き溜まりが発達したものと推測され、現場の積雪は更に安定性を欠く状態なっていたのではないかとされています。
このように、安定性を欠いた状態の積雪面では、自然に雪崩が発生することもありますが、統計的には、人為的に発生させてしまう(安定性を欠いた斜面に人が踏み入ることによって雪崩を誘発させてしまう)場合が6割以上とされています。
この事故の場合は、Yパーティーのトレースの直近に、雪崩の破断面が確認されておりますので、人が踏み入ったことで、不安定な積雪層を刺激し、そのことが雪崩発生のトリガーとなってしまった可能性があるのではないかと思います。
山行計画の背景
登山計画は、Yリーダーの主導で行われました。
Yリーダーは、事故の前年に海外遠征するなど、経験豊富なリーダーのひとりでしたが、ニペソツ山の東壁登攀は初めてだったとのことで、複数の東壁登攀経験者から情報収集するなど、入念な事前準備をしていたようです。
情報収集の際、「東壁への下降ルートは右ルンゼ(デルタルンゼ)であり、1725コルから下降すると東壁までは遠くなる、1725コルは雪崩に気を付ける必要がある。」などのアドバイスを受けています。
Yリーダーは、右ルンゼ(デルタルンゼ)ではなく、1725コルからの下降を選んだわけですが、その理由について、「ニペソツに」では、Yリーダーは東壁登攀は初めてだったので、1725コルを下降して東壁全体を観察したかったのではないか、と考察しています。
これについて、1725コルは積雪期のルートとして使用されることもありますので、このルート選択自体が間違いということにはならないと思います。
また、アプローチについては、当時、東壁を目指していたのは、他に2パーティーあり、どちらも東壁の下から(幌加川方面から)アプローチしており、Yパーティーだけが杉沢コース(稜線歩き)からアプローチしています。
これについても、東壁を目指す場合、どちらのコースも利用されており、日程や積雪などの状況を見て判断されますので、コースの選択自体が誤りということにはならないことになります。
雪崩は予測出来たのか?
一般的に雪崩が発生しやすい条件
雪崩発生の条件には、斜面の角度や向き、地形、気象状況などが関係しますが、今回の事故に関係ありそうなものを以下にあげてみます。
斜面の角度
雪崩学の研究によれば、雪崩の危険が高くなる斜面の角度は30度~50度とされていますが、そのうち最も危険な角度は35度~45度(核心部分は38度)とされています。
Yパーティーが雪崩に巻き込まれた場所付近の斜面の角度ですが、稜線(1740m)から発生点(1700m)までを、地形図と三角関数を利用して計算すると、発生点付近の斜度は約39度になり、一般的には雪崩が好発する斜度ということになります
斜面の向き
雪崩事故は風上側よりも風下側の斜面の方が発生件数が多く、冬期、北西の季節風による影響で、北~南西斜面で36%、北東~南斜面で64%となっています。
風上側は弱層が吹き飛ばされやすいのに対し、風下側は吹き溜まりやすいので、弱層が埋没してしまい危険が増す傾向があります。また、風下側は雪崩の原因となる雪庇も発達しやすくなります。
この事故の雪崩の発生点は南東斜面であり、北西が吹けば風下となります。前述のとおり、1月3日は北西の強い地吹雪が吹いていたとのことですので、現場は吹き溜まっていて、他の場所より積雪が多めであった可能性があると思います。
沢(谷)地形
詳しいデータはないものの、一般的に尾根地形(凸型地形)よりも、沢(谷)地形(凹型地形)の方が、雪崩が起きやすいとされています。
この事故の場合、1725コルからの下降の際、沢地形を嫌い、直近にある小リッジ(尾根地形)から下降しようとしていたようですが、小リッジに至る寸前で雪崩が発生しています。
大量降雪
これについても、詳しいデータはないものの、短時間で多くの積雪があればあるほど、一般的には積雪のバランスが不安定になり雪崩発生の危険性が高まると考えられています。
大量降雪の基準については不明確ですが、一般的には一度に30cm以上の積雪があれば大量降雪と考えて、雪崩への警戒を強めた方が良いと考えます。
また、大量降雪の直後については、登山者としては特に警戒を要するところで、降雪後は雪が落ち着くまで(降雪後、雪が閉まって安定するまで)、数日(最低でも1、2日)は様子を見てから入山するようにします。
この事故の場合、1月1日に30cm程度の積雪があったとされおりますが、事故があった1月4日まで3日空いておりますので、一般的には大量降雪の直後には当たらないと考えられます。
雪崩の予測は可能だったのか?
以上の一般論は、冬山を登る者にとっては常識となっていますが、実際の雪崩遭難では、セオリーどおりにならないことも多々発生しており、雪崩を避けるためには、このようなこと以外にも様々な経験則を駆使して、刻々と変わる現場の雪質を見極めながら、常に安全なルートを選択することになります。
発生点付近の現場には、トレースが2本残されていましたが、1本目(約10m)は引き返した痕跡であり、2本目(50m~60m)は、トレースの先端で雪崩が発生しています。
これの意味することころは、一旦は下降を始めたものの、雪崩の危険を感じて、より小リッジに最短で行けるルートに変更した痕跡であると考えられています。
つまり、Yパーティーは、積雪の不安定さを認識して、コース変更してリスク低減を行ったのにもかかわわず、小リッジまで、僅か数十メートルの斜面の移動中に雪崩が起きてしまったということです。
雪崩の予測は難しく、この事故のような面発生タイプの雪崩の場合、積雪の深部に弱層が隠れていますので、安全かどうかの見極めが特に困難だとされています。
危険な弱層を見極めるための有効な手段として、現場で行うことのできる「弱層テスト」というものがありますが、Yパーティーが弱層テストを行ったのかどうかについては、明確ではありません。
また、弱層テストは、100%確実に雪崩を予測できるものではなく、面倒であっても、斜面の向き、斜面の幅、傾斜、植生などが変わるたびに行うのがベストであり、30回も行えば、かなり正確に雪崩の予測ができるとされていますが、行動時間との兼ね合いもありますので、テストのタイミングは、その場の判断ということになります。
以上のことから、Yパーティーは漫然とルートを選択し、その結果雪崩に遭遇してしまった、ということでは全くないことがわかります。
また、下降ルートに右(デルタ)ルンゼを選んでいれば雪崩に遭わなかったのでは、とも思われますが、事故前の12月30日と1月2日に、中央ルンゼと正面リッジ取付き付近で雪崩が発生しており、現場付近一帯の積雪は不安定な状態であったとのことですので、右(デルタ)ルンゼの方が安全であったとは言えないのではないかと思います。
「ニペソツに」の考察に、「結果的には・・あのコースを下ってしまったのは彼らのミスで・・」とあるように、一定の安全策は取っていたが、結果論としてミスがあったとしか言いようがない事故だったという趣旨の記載があります。
雪崩の発生を予測できた可能性については、他者が評価するには難しい事故であるという印象を受けました。
慰霊登山会
事故があった年の9月15日~16日の1泊で、道東地区勤労者山岳連盟が杉沢コースから慰霊登山を行い、事故現場手前の登山道脇の小スペースに慰霊碑を設置しました。
山岳会員や関係者など数十名(50~60名だったと記憶しています)が参加しました。
プレートには、「・・・凍る雪稜がモルゲンロートに染まる朝であった。」とあり、発生時刻の午前7時は、丁度、日の出時刻と重なっていました。
杉沢出合でテント泊をし、翌日は慰霊碑設置場所まで全員で登りましたが、稜線上は天気が悪く、濃い霧の中でした。
狭い登山道に集まって、会員のひとりが般若心経のお経を上げ、全員で手を合わせたのをよく覚えています。
参考文献:ニペソツにーニペソツに逝った友を偲んで(道東地区勤労者山岳連盟編)、最新雪崩学入門(北海道雪崩事故防止研究会編)山と渓谷社
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